第2説「壱岐のあまんしゃぐめ」
【さるえもんの壱岐奇譚集 #2】

2019年10月23日
特集

どうも、さるえもんです。

世の中には人智では計り知れない、数多の出来事が存在します。
そうした出来事は、古来より怪異や妖怪へと表現され、現代に伝わって参りました。
今回はそんな奇異なる、壱岐の話をひとつお聞かせ致しましょう。

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壱岐の天邪鬼伝説「あまんしゃぐめ」

その昔、「あまんしゃぐめ」は人の村の幸福を呪って、善神と争っていた。

ある時、善神は「あまんしゃぐめ」に、もし一番鶏が鳴くまでに入り江を横切って対岸へ橋を架ける事が出来たら、島人を皆喰べて良いと約束をした。

「あまんしゃぐめ」は3,000体の藁人形を作り、それに呪法をかけて人と化し、工事に取り掛からせた。

鶏が鳴かないうちに、橋が出来上がりそうになったのを見た善神は、陰で鶏のトキ(声)を真似て鳴いた。

朝がきたと勘違いしたあまんしゃぐめは、工事を止め、「掻曲放擲け(けいまげうっちょけ)」(※「放棄して逃げろ」の意)と叫んだ。

そして、3,000体の人形を、1,000体は海へ、1,000体は川へ、1,000体は山へ行けと言って放した。

それが皆、「があたろう」になったのだ。

海、川、山に行って、馬の足型ほどの水があれば、そこに「があたろう」が居る。

「があたろう」は人に相撲を取ろうと持ちかけるが、人の方の力が強ければ、相撲を取りながら其の手を引き抜く事ができる。

それは、「があたろう」が元々藁人形であるからだ。

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短い文章ではございますが、不思議な感覚を抱かれたかと思います。それは、途中で主役が入れ替わったようにお感じになったからではないでしょうか?

それでは、この話に登場する、主な3名について見て参りましょう。

1.善神
壱岐の伝承によれば、善神は伝説の名工・竹田ノ番匠(タケダノバンジョウ)として語り継がれております。
民俗学者・折口信夫先生は、これを天草地方に伝わる左甚五郎(ひだりじんごろう)の逸話の「誤用」であると説いておられます。
ちなみに左甚五郎の逸話には、城を造る際に期限内の完成が危ぶまれたため、左甚五郎が多くの藁人形に生命を吹き込み完成させた、という話がございます。そして、この藁人形も後に「があたろう」へと変わるのです。

2.あまんしゃぐめ
「あまんしゃぐめ」は「天邪鬼(あまのじゃく)」の異名です。
天邪鬼は悪鬼(あっき)のことであり、仏教において、悪鬼は煩悩の象徴とされております。四天王像や金剛像で踏みつけられている小鬼が、天邪鬼ですね。
また、現代では「合理的な言葉に逆らう人」や「ひねくれ者」として人を指す時に用いられます。そして神道では、日本書記に登場する天稚彦(あめのわかひこ)や天探女(あめのさぐめ)に由来すると云われています。童話では「瓜子姫(うりこひめ)」の天邪鬼が有名な処です。

3.があたろう
西日本を中心とする河童の異名です。他にも「かわたろう」や「がたろ」などと呼ばれます。
河童の伝承は全国各地に存在し、大抵は「人間へのいたずら」や「相撲を取る」話のようです。しかし、中には「土木工事を手伝う」と云った民話もあるのです。壱岐のあまんしゃぐめは、最後の類ですね。


それぞれについて見てもお判りの通り、壱岐に語り継がれるこの「あまんしゃぐめ伝説」は、複数の伝承から成っていると考えて良いでしょう。
話の主役が替わってしまったように思えるのは、此の為ですね。

この話に織り込まれていると考えられる伝承は以下の3つです。


⑴ 一夜工事伝説
⑵ 天邪鬼伝説
⑶ 河童人形起源譚


一夜で工事を終える、所謂「一夜工事伝説」の類は全国各地で耳にします。地域によって、工事を行うのは神や鬼や巨人や河童など、それぞれに違いがございます。

また、他方では工事を邪魔する存在として、天邪鬼が登場いたします。例えば、佐渡島では役の行者(えんのぎょうじゃ)と左甚五郎の工事を、紀州の南志野では行基菩薩(ぎょうきぼさつ)の工事を、天邪鬼が邪魔したと伝えられます。

天邪鬼の話は枚挙に遑がございません。

今回、特に注目したい点は、終盤に登場した「があたろう」こと、「河童」についてです。

壱岐の島には、河童伝説が数多存在します。河童の起源は大陸にあると云う説もありますので、大陸との交易が盛んであった壱岐で、河童の話が多く残るのも頷けます。
河童については、多くの研究者や大家がいらっしゃいますので、これを機に諸説お調べになるのも一興かと思います。

さて、「河童が人に相撲を挑み、腕を抜かれるのは、元来、河童が藁の人形であった証拠だ」と云うくだりは、大変興味深い処です。

壱岐・湯ノ本には、相撲で人間に腕を取られた河童が詫び状(証文石)を書く代わりに腕を返してもらった、という言い伝えがございます。

折口信夫先生は「あまんしゃぐめ伝説」を根拠に、河童が人形であったとする「河童人形起源譚」の根源は壱岐だと説いておられます。

もし河童が人形の変化(へんげ)とすれば、河童の根本は、陰陽道の呪術の一つとして人形を操る、形代(かたしろ)に近いモノと考えることが出来ましょう。

古来より日本には「流し雛」など、人間の代わりに人形に不浄とされるものを移し、川に流して浄化させる陰陽道を所縁とする習俗がありました。
もしかすると、壱岐の「あまんしゃぐめ伝説」に登場する「があたろう」も、何らかの「不浄を浄化させる役割」を託されていたのかもしれません。

「あまんしゃぐめの」の橋。

言い伝えによると、「あまんしゃぐめ」が「掻曲放擲け(けいまげうっちょけ)」と叫んだ場所は、後に「けいまぎ崎」と呼ばれるようになったそうです。

「けいまぎ崎」とは現在の「小牧崎(こまきざき)」。

「あまんしゃぐめ」が築くのを途中で放棄した橋の跡が、この小牧崎だと云われております。

小牧崎の北部には、猿岩のある黒崎半島があり、本来であれば、そこまで橋を架けようとしていたのだそうです。

小牧崎は、矛先のような形をした細長い岬で、緩やかな草のスロープが続く自然公園です。

また、牛の放牧地区としても有名であり、広々とした牧歌的風景を楽しめる素敵な場所です。近くにお越しの際は、お立ち寄りになってみてはいかがでしょうか。

それではまた。次の話でお会い致しましょう。





【参考文献】
[1]折口信夫,「折口信夫全集 第3巻 (古代研究 民俗学篇 2)」1955年,中央公論社
[2]柳田国男,「桃太郎の誕生」,1942年,P 128,三省堂



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