平景隆の墓 (たいらのかげたかのはか)

TAIRANOKAGETAKANOHAKA

観光情報

1274年、一度目の蒙古襲来(元寇)の際に壱岐を取り仕切っていた守護代・平の景隆(※守護は小弐氏)の墓石。10月14日、突如現れた400人以上の蒙古軍の報告を聞いた平景隆は樋詰城(ひのつめじょう)から家来百余騎を引き連れ戦うも、劣勢となり城に引き上げた。翌日、蒙古軍は城を取り囲み景隆らは防戦に努めるも落城。家来の宗三郎に蒙古襲来を太宰府に報告することを命じ、家来ともども全員が自害した。現在、樋詰城跡には新城神社が鎮座し、境内に景隆の墓がある。


住所 壱岐市勝本町新城東触 新城神社
アクセス ◆郷ノ浦港より/車で25分
◆芦辺港より /車で10分
◆印通寺港より/車で22分
◆壱岐空港より/車で23分


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