河合曽良の墓 (かわいそらのはか)
KAWAISORANOHAKA
河合曽良は江戸時代中期の俳諧師として、松尾芭蕉の奥の細道の旅に同行した弟子であり、蕉門十哲(しょうもんじってつ)の一人とされる。1709年、江戸幕府の命により諸国の実態調査員である巡見使として九州をまわっていたが、翌年壱岐の勝本町で病に倒れ没した。同町にある城山公園の一角には「春にわれ 乞食やめても 筑紫かな」との句碑と墓が残っている。1994年、曽良の縁から勝本町は生誕の地である諏訪市と友好都市提携を結んでいる。
住所 | 壱岐市勝本町坂本触746-3 |
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アクセス | ◆郷ノ浦港より/車で24分 ◆芦辺港より /車で16分 ◆印通寺港より/車で25分 ◆壱岐空港より/車で26分 |
設備 | 駐車場 トイレ |