藤原理忠の墓 (ふじわらのまさただのはか)

FUJIWARANOMASATADANOHAKA

観光情報

1019年に対馬・壱岐に来襲した刀伊の賊によって打ち敗れた壱岐国司・藤原理忠の墓。刀伊は突如として現れ、日本側では賊の正体が分からなかったことから、刀伊の賊と名付けられた。刀伊は高麗語で野蛮な異民族の意味を持つ。刀伊は賊船に乗り、約三千人が壱岐島の北西海岸に押し寄せたと言われている。勝本町立石南触には軍場(いくさば)と呼ばれる丘があり、理忠はこの一帯で戦ったのではないかと伝えられている。刀伊の来襲により藤原理忠をはじめ、148人(男44人、女59人、法師16人、子供29人)が殺され、捕虜として連れ去られた女性は239人、人家は焼かれ牛馬はほぼ食べられるなど、壱岐史上最大の惨劇として今も語り継がれている。また壱岐で残った人の数は合計35人しかいなかったとも伝えられている。


住所 壱岐市勝本町立石南触
アクセス ◆郷ノ浦港より/車で19分
◆芦辺港より /車で19分
◆印通寺港より/車で25分
◆壱岐空港より/車で25分


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